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廃交通探索

※三島氏からいただいた写真を追加しました!(2017/01/31)

 房総東往還随一の難所、おせんころがしの探索。行川側からの踏破を諦めた我々は、大正に建設されたという旧道を通り、大沢集落へ向かうことにしました。

<4>国道128号線旧道を歩く

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 現道(バイパス)のおせんころがしトンネル東口から右にそれていく道が国道の旧道になります。外房線を越えるために急勾配を駆け上がったわりにはけっこう深い切通しを通り、大沢第1トンネルに入ります。ヨッキさんが述べられていた通り扁額は略字で書かれており、あまり良い印象を受けません。

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 大沢集落を抜けた先にある大沢第2トンネルも同じようなもので、ちょっと不気味に思います。第2トンネルのほうは東側坑口にマッ缶を冷暖完備している自販機があり、マッ缶信者の三島氏が発狂しています。寒かったこともあり自分も買いたいところでしたが、小銭がなく断念。探索計画時には道中マッ缶を布教すると言い続けていた彼ですが、奢ってくれるわけではないのですね…。

 一刻も早くおせんころがしの探索をしたかったので大沢第2トンネルは通り抜けず、大沢集落内の道を進みます。結構な急勾配で、外房線との交差部は良さげな写真を撮れそうでした。

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↑下大沢ガードというらしいです(三島氏撮影)

  3行前で「一刻も早く」とか言っておきながら、橋の下にトンネルがある、という光景見たさに来てしまいました。これなら大沢第2トンネルを抜けても良かった気がします。

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 それにしても奇妙な光景ですね…。一応解説しておくと上の橋は国道の現道(大沢集落は完全スルーです)で、下のトンネルは大沢の漁港へ向かう港湾道路です。トンネルは立入禁止となっているので、長居はせずにいよいよおせんころがしの探索に向かいます。

<5>おせんころがし(明治旧旧道)
 橋の下のトンネルを見にきたので、ついでにこれから進む道を確認〜
 みなさま、どこだかわかりますでしょうか。
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 わかりやすいっちゃわかりやすいですが、正解は以下の通りです。うん、ヤバそう…。
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 まあここでうろちょろしてても仕方ないので、旧旧道の起点であるバイパスの階段下(上の写真の左端に写ってます)へ向かいます。途中、横の塀から水が放出されるところがあってビビりました…。なんとなく排水な感じがします。
 階段の脇にある板張りの小径(写真?んなもん撮ってるわけねーだろ)を抜けると、未舗装の道路が。サマになってきた〜と心を躍らせていましたが、ちょっと様子が変です。というのも、実質廃道になっていて誰も通らないはずなのに、コンビニおにぎりの袋が捨ててあるのです。挙げ句の果てにはビニールシートで囲われた空間(中にはいろいろ物が置いてあります)と謎の液体がたっぷり入った発泡スチロールのプール(色が黄色だったので、中身は屎尿なのでしょうね…)まで…。ヨッキさんの探索時には家庭菜園があったとのことですが、それを通り越してどなたかの住居になってしまったようです。しかも、崖を切り開いた道で道幅は3メートル足らずなので、先へ行こうとするとどうしてもこの"お宅"を通らなければなりません。住人がいなかったのでサッと通り抜けましたが、ヒヤヒヤものです。

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↑板張りの小径…。(三島氏撮影)

 "お宅"を抜けると急激な藪、というか結構大規模な崩壊地。ヨッキさんのレポートを見て、少し行けば大沢漁港を守るためにコンクリで固められたところがある、というのは知っていましたので高巻きにチャレンジしてみますが、さらに藪が酷くなったのでついに撤退を決意。奇しくもそこは、立入禁止を示す看板の前でした。

<6>撤退
 崩壊地に長くいるのは危険ですし、例の住人が帰ってくる前に脱出しなければならなかったので急いで戻ります。行川アイランドもおせんころがしも中途半端なものに終わってしまったので、大沢第二トンネルを抜けるだとか大沢〜小湊の旧道を辿ってみるだとか考えてみましたが、この雨では収穫も得られないだろうと帰宅することに。先ほど出てきたバイパスの階段を上がるとバス停に行き着くので、そこからバスで安房小湊駅へ向かうことにしました。

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↑銘板落ちるのはさすがにマズイでしょ…。塗装され直して気を抜いたか?(笑)

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↑本当にバス停に行くためだけの階段です。それにしてもトンネル出てすぐにバス停とかイジメにしか思えませんね…。

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↑小湊・鴨川方面のバス停なのに、真逆の興津方面と書いてあります。どこをどうやったらこうなるのか…。

 幸いにも10分ほどでバスが来るようだったので、全身に付いた植物の種子を取って乗車。安房小湊駅で下車した私は、わかしお号に乗って帰宅したのでした。


 帰宅してから調べてみると、ヨッキさんはじめ、多くの方が3月に訪れているようでした(中には7月なんてツワモノも…)。時期を選んで再調査しないとですね…。 

※三島氏から頂いた写真を追加しました!(2017/01/31)

 特別快速の惜別乗車を終えた私は、かねがね行きたいと思っていたおせんころがしの旧旧道を訪れるために行川アイランド駅までやってきました。ちなみにこの調査は三島氏とご一緒させていただきました。三島氏もこの探索を記事にしていらっしゃいますので、もし宜しければご覧ください↓
※カメラのバッテリーを充電し忘れた関係で、一部写真はガラケーで撮影したものになっています。画質が悪いですがご了承ください。

(探索日:2017/1/20)
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 行川アイランド駅は一大観光地の最寄り駅だったとは思えない簡素さで、虚しさすら漂います。駅の観光案内には行川アイランドだけでなくおせんころがし(これから向かう旧旧道ではなく、途中にある慰霊碑)も紹介されており、往時はおせんころがしも賑わったのかな…と想像してみます。

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 ↑行川アイランドの文字消せてませんよ〜

 まあメインディッシュは後にして、とりあえずは駅名の由来になった行川アイランドを訪れてみましょう。どうやら三島氏はこちらがメインのようで、少しテンションが上がっているような気がします。

<1>日本一有名な(?)廃墟、行川アイランド
 外房線からも見える行川アイランドの広大な駐車場跡。週末に運行されるSLを撮影する客が駐車できるように準備されていました。まさかこんな使い道があったとは…。
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 自動車路は封鎖されていたのに歩行者用通路は何もなかったので上がってみます。ゲートの跡地(写真撮り忘れました…)を抜けると、ランド内へ入るトンネルに行き当たります。帰ってきてからネットでいろいろな調査記録を見てみましたが、年を追うごとに柵が追加されているようです。よっぽど侵入したい人がいるんでしょうね…(ブーメラン)。
 柵の上の方は有刺鉄線が設置されているようですし、事前の調査で別の入り口があることを知っていたので素直に引き下がります。

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↑ゲートの跡(三島氏撮影)

 というわけで南下し、もう1つの入り口へ向かってみましたが、こちらも完全封鎖(また写真撮り忘れました…。気抜いてるな…)。メインのゲートの脇にはネットが張り巡らされ、上部にはまたもや有刺鉄線がありました。斜面を横移動し、ネットの隙間から入れないかと試みましたが、雨による泥濘で突破を断念。それにしても事業者用通路(?)でここまできっちり封鎖しているところをみると、やっぱりどうしても入りたい人がたくさんいるんでしょうね…(ブーメ以下略

<2>行川アイランドを目指して 第二ラウンド
 頼みであった第2の通路が封鎖されていたことで、行川アイランドの探索は八方塞がりとなりました。そこで、ひとまずおせんころがしを目指し、行川アイランドに侵入できそうな道があれば入ってみることにします。
 この、行川アイランドに侵入できそうな道は意外とすぐに見つかりました。おせんころがしへの道からホテル行川への道が分岐しているところです。もちろんゲートで封鎖されており、立入禁止の看板には「侵入は発見次第、通報します」とあります。メインの探索を控えている以上捕まりたくないので、合法的に侵入できる道(ただの藪漕ぎですが)を探してみるも上手くいかず、三島氏がゲートの脇から侵入してしまったのでやむなく自分もゲート脇から侵入します。
 わりとビビって入ったわりに中は荒れ放題で、なにか再活用する意志は見受けられません。行川アイランドならいちおう再開発の計画があるのでむやみに人を立ち入らせたくないのも理解できますが。それでも、しっかりと舗装された車道が整備されているのは評価できます。奥に駐車場らしきスペースがあったこともあって現地では行川アイランドの従業員出入口ではないかと推察しましたが、実際にはホテル行川と同じようなホテルがあったらしいです。尾根まで上がってみましたが行川アイランドへの経路が見当たらなかったので断念しておせんころがしに向かいます。

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駐車場の跡地?(三島氏撮影)

<3>おせんころがし
 立派な切通し道を進むと、お仙の慰霊碑が見えてきます。が、観光客が皆無なのか慰霊碑へ至る階段の一部が崩れていました。もう20年もすればなかったことにされてしまいそうです。

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 ひとまず手を合わせて進行方向を眺めてみました。
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 なんか…ヤバそう…
 ところで、おせんころがしの由来は「お仙という娘が悪事を働く父の身代わりとなって崖から投げ落とされた」ことだと言われていますが、自分で転げ落ちたわけでもないのに難所の名前に採用されているのはなぜなのでしょうか。おせん"ころがし"だから転がされる話なのだ、とする見方もありますが、お仙を"ころがした"崖だと考えれば名前も不思議ではありません。異説ではお仙が自分で転げ落ちた話もありますが、どちらが正解なのか…。

 肝心の旧旧道探索ですが、藪が想像以上に濃く、オブローディング経験値の低い2人がこの天候で強行突破しようとすると滑落の危険性もあると判断し、断念。元記事のとおり、大沢側から探索することにしました。

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